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ミャンマー最大のキリスト教少数民族カチン族について

今回はミャンマー最大のキリスト教少数民族、カチン族についてご紹介します。


カチン族は、ミャンマー北部の中国との国境にあるカチン州を中心に暮らしています。同じ地域に住むチベット・ビルマ語族に属する十数種類の異なる言語を話す民族のことをまとめてカチン人と呼ぶこともあります。

厳密に言えば、カチンとは最大のグループ(カチン族またはジンポー/ジンポー族)を指す場合と、この地域のチベット・ビルマ語を話す少数民族全体(マル族、リス族、ラシュウ族などを含む)を指す場合とがあります。正確なカチン人の人口は不明ですが、ミャンマー国内には100万人近くのカチン人がいるとされています。


カチン族はチン族と同様、ミャンマー最大のキリスト教少数民族です。一般にカチン族の3分の2から90%がキリスト教徒で、その他は精霊信仰や仏教徒であると言われています。


歴史的背景


カチン族はチベット高原の祖先の土地から中国南部の雲南省を経て、15世紀から16世紀にかけて徐々に南下し、後にビルマとなる北部地域に到着したと考えられており、カチン族は比較的新しい民族となります。

この東南アジアの国境地帯に位置するカチン族は、ビルマ王の勢力圏外にいることが多かったのですが、1885年の第3次英緬戦争(イギリスとビルマの戦争)では、イギリスがマンダレーを占領している間に、カチン族はビルマ王国の弱みにつけこんでマンダレーを攻撃し、自分たちで占領しようとしていたこともあります。とはいえ、当時のカチン族がいたほとんどの地域は、ビルマではなく、辺境行政区の一部としてイギリスに統治されていました。


カチン族の伝統的な首長(ドゥワ)は、イギリスの統治下でも引き続きその地域で権勢を振るっていました。 カチン族は1947年のパンロン協定(ビルマ独立の際にビルマ族を中心とした政府と少数民族が合意した、少数民族の自治権を認めた協定)に参加・調印した少数民族の一つであり、この協定によりカチン州の設立と自治権を原則的に承認されることになります。カチン族とビルマ人の支配する政府との間に多少の緊張はありましたが、しばらくは平穏を保っていました。しかし、1961年にビルマの宗教として仏教が宣言されると、これは主にキリスト教徒のカチン族にとっては侮辱と受け止められ、元々あった政府への不満とともにカチン独立機構(KIO)とその軍部であるカチン独立軍(KIA)の創設につながっていきます。そのような混乱の中1962年にネ・ウィン将軍の軍事クーデターが起ります。


1962年以降、軍隊や国家機関の「ビルマ化」が進み、それに伴ってカチン族が雇用や経済機会などの分野で政府当局から差別され排除されているという意識が強くなり、これらすべてがカチン地域での反乱を継続させることになります。


反政府勢力の初期にはカチン州の大部分をKIOが支配していましたが、1988年以降、国家法秩序回復評議会(SLORC)が近隣のグループと停戦協定を結び始め、その後カチン反政府勢力に対して軍を再配備し集中させたため、状況が変化し始めます。その結果、1994年までにKIOは政府との停戦を決定し、カチン州の一部である程度の地方行政権を持つようになりましたが、すべての土地と天然資源は国家平和開発評議会(SPDC)政府の権限下にあることに変わりはありませんでした(カチン州は希少な鉱物の翡翠と琥珀の産地でもあります)。


1994年以降、カチン州ではいくつかの経済プロジェクトが開始され、SPDCがKIOにある程度の自由度を与えたため、当初は地元のNGOや、国際NGOが地域の開発に携わるようになりました。しかしその後、ミャンマー軍事政権がカチン州での活動を本格化していきます。例えば、軍事政権はカチン州北部のフガウン・バレー・タイガー保護区で金採掘の許可を出し、何千人もの地元住民を移住させたと言われています。このような活動は、政権と密接な関係にある特定の企業や個人を優遇しているように見え、同時に、採掘や伐採活動が行われる地域の一部ではビルマ族が働き、定住するよう奨励されており、少数民族の排除に繋がっていきます。カチン州に駐屯する軍の数も増し、その力を背景に土地の没収(ほとんど補償なし)、強制労働、性的暴力などの人権侵害や残虐行為を行ったとの疑惑が増えていきます。SPDCはダナイなどの町の行政職のほとんどにビルマ人を登用し、地元の業務ではカチン語が事実上使われなくなりました。 カチン族は、ビルマの多くの少数民族が経験した同様の人権侵害に加えて、キリスト教を信仰しているためにビルマ当局から特に狙われているようで、仏教に改宗すれば報奨金が出る、強制労働を免除する、米などの食料品の価格を下げる、教育の機会を増やすなど、宗教を理由に当局から改宗活動や差別的な扱いをされたという報告もあります。


現在の問題点


2011年6月、17年続いた停戦協定がついに破られることになります。反政府武装勢力の拠点に対する全面的な陸上・空中攻撃を含む戦闘が激化し、民間人が死亡、数千人が故郷を追われることになってしまいます。 他にもカチン州ではミャンマー軍による市民に対する超法規的処刑、レイプや性的虐待、拷問、市民への無差別攻撃、強制労働などの報告が相次ぎました。カチン州には天然資源、特に翡翠が存在することも状況を複雑にしています。この地域から産出される翡翠は数十億ドルの規模になっていると考えられていますが、実際に計上されているのはそのごく一部に過ぎません。軍部とつながりのある既得権益層が資源の支配を維持しようとするため、一部の地域では戦闘が続いていました。


2015年のミャンマーの総選挙により文民政権が誕生した一年後の2016年7月、政府は規制の法的枠組みが固まるまで新規の許可証発行や既存の許可証の更新を行わないことを発表しました。


その後も武装勢力と国軍との衝突は続きますが、カチン州は改革に向けた大きな一歩を踏み出します。



しかし2021年2月に軍による3度目のクーデターが起ります。

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